宮崎のシンボル 母なる川に架かる 橘橋
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大淀川最初の橋は、実は明治6年に架けられています。鹿児島の商人、林次郎が1500円を要して架けたもので、位置は旧橘橋の近くでした。しかし、橋とはいえ洪水時には敷板をとりはずすようなもの(木橋)であったため、間もなく流失しました。

橘橋の沿革
  宮崎市内を悠々と流れる大淀川は「母なる川」として、昔から住民に親しまれてきました。その反面、市の発展を阻害する要因でもありました。江北延岡藩、江南飫肥藩の対立という歴史的な背景があり、明治初年まで、両岸を結ぶ唯一の交通機関は舟による渡しだけで、大雨が降れば両岸は完全に遮断されてしまいました。
  宮崎市を東西に分ける国道10号と国道220号が、大淀川を渡る所にあるのが橘橋で、初代の橘橋は、明治13年に医師、福島邦成により架けられました。以来、橘橋は4回架け替えられ、現在は昭和54年に完成した6代目橘橋が宮崎市のシンボルとなっています。
橘橋および橋全般について
   www.nico2.co.jp/bridgeday/index.html
初代橋を架けた福島邦成
   www.nico2.co.jp/bridgeday/kuninari/kuninari.html

橘橋の架替え
初代 明治13年4月 明治の先覚者、福島邦成が私費を投じて賃取りの木橋を完成させる
第二代 明治17年6月 豪雨のため流失。県により木橋架設される
第三代 明治19年に流失、県により木橋架設
第四代 明治21年11月 再び豪雨のため流失、県により木橋架設
第五代 昭和7年4月 鉄筋コンクリートアーチ橋として完成
第六代 昭和54年6月 全長389m4車線の新しい観光シンボルとして完成。

※地元の郷土史家等によると、現在の橋を第7代としている場合がありますが、それは第5代橋の架設に際しての仮橋を1代として加えているためです。
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