宮崎のシンボル 母なる川に架かる 橘橋
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二代目橘橋

初代橘橋が明治17年に流失、ただちに県による木橋架設が行われた。(明治17年6月完成)初代橘橋と異なり、上野町通りから中村町本通りに接続し、この橋から無償通行となりました。

長さ365m、巾は約4m

※明治19年9月23日、前日からの暴風雨で午後5時流失。


三代目橘橋

3代目橘橋についてはほとんど資料がなく、架橋された正確な年月日、長さ、幅等についても分かっていませんが、2代目流失後、すぐに再架橋されたものと思われます。



初代橘橋の2度目の流失に際し県は、「一度架けられた橋は住民の足として欠かせないものである」という事から、福島の跡を継いで木橋を架設死(明治17年)無償通行としました。その後、再度の流失においても県が木橋を架設。





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