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◆エピソード 明治21年の架設後、部分流失を繰り返しながらもその度に復旧、重責を果たしてきた橘橋でしたが、大正15年の洪水では、かなり大きく流失しました。 ○橘橋は5月15日午前11時頃、時の知事古宇田晶が橋上から水害上京を視察した直後、大音響とともに流失して知事の肝を冷やさせた。 宮崎日々新聞“道” ○橘橋の流失、宮崎交通の幹線、大淀駅(現宮崎駅)〜宮崎神宮間が寸断され、宮崎交通は赤字転落となった。 宮崎日々新聞“橘橋の思い出” ○第4代橘橋はノーベル賞作家、川端康成氏の宮崎を舞台にした小説「たまゆら」にも宮崎の自然のすばらしさとして描写されています。 「高くない山波みは川上へゆるやかに低くなっていく、その低まりの果てに日が沈みかけていた。橘橋の影が美しく水にうつっていた。橋の向こうは木立であった。川上に遠い高千穂の峰なども、もやにかくれていた。」 「橘橋の欄干に日がともった。つらなる電灯は思いがけないほど長い影を見ずに落として、光のしました描いた。」 川端康成氏が宮崎県を訪れた際、橘橋の美しさと大淀川の水の豊かさにひかれ、滞在期間を大幅に延ばし、2週間余とどまりました。 「大淀川は広いし、橘橋はきれいだ。これに夕日があれば宮崎の宝だ」と絶賛しました。 |
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