筑後川の洪水の歴史(明治~昭和初期の主な洪水)

筑後川の洪水の歴史

明治~昭和初期の主な洪水

明治以降は近代的改修が徐々に進められましたが、まだ洪水は頻繁に起きています。明治18年6月、明治22年7月、大正3年6月、大正10年6月、昭和3年6月、昭和10年6月、昭和16年6月、昭和28年6月などで、特に明治22年、大正10年、昭和28年洪水を「筑後川3大洪水」と呼んでいます。このように、筑後川の洪水はほとんど梅雨期に発生するものが多く、この時期の降雨は短時間に終わるものは少なく、約3〜6日間にわたる長雨となります。

明治22年7月洪水を佐賀新聞は「小高き山に登り見渡せば、久留米瀬ノ下より千歳川を交えて此の方は森梢家棟のみ漸く見えたるも他は漫々たる洪水の漲れるのみ、其の幅5里、長さ10里以上に奔流せり」と述べており、その規模の大きさは想像に絶するものであったと思われます。

明治22年洪水絵図「水に掴まって九死に一生を得る」

●明治〜昭和初期の主な洪水年表 洪水発生年 原因 瀬の下での水位 洪水被害の概要

洪水発生年 原因 瀬の下での水位 洪水被害の概要
明治18年6月 1885年 梅雨 2丈5尺5寸
(7.72メートル)
国直轄工事として統一した改修計画(第1期改修計画)策定の契機となった洪水。
明治22年7月 1889年 梅雨 2丈8尺4寸5分
(8.62メートル)
死者日田18人、久留米52人、家屋被害日田8,460戸、久留米48,908戸。第2期改修の必要性を痛感せしめた洪水。
(筑後川3大洪水)
大正3年6月 1914年 梅雨 6.29メートル 家屋被害5,130戸(中下流)。降雨量で既往の洪水を大きく上回った洪水。
大正10年6月 1921年 梅雨 7.11メートル 家屋被害11,620戸(中下流)。第3期改修の契機となった洪水。(筑後川3大洪水)
昭和3年6月 1928年 梅雨 6.29メートル 家屋被害14,434戸(中下流)。4大捷水路の開削が促進される契機となった洪水。
昭和10年6月 1935年 梅雨 7.15メートル 家屋被害30,858戸(中下流)。中下流型降雨により支川改修着手の契機となった洪水。
昭和16年6月 1941年 梅雨 6.53メートル 家屋被害4,235戸(中下流)。

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