洪水年表(明治以前)

筑後川の洪水の歴史

明治以前の洪水年表

西暦

年号

洪水及被害状況

806

大同1年

太宰府管内、水害とかんばつにより田園荒廃。筑後の国1ヶ年田租を免ぜらる。

938

天慶1年7月

大雨洪水ー阿蘇川(現大山川)、玖珠川がはん濫、日田郡大原神社、広園寺が流失。

1384

至徳3年

大洪水ー玖珠郡浸水1ヶ月間におよび、人畜は山嶽に避難する。溺死者800余人、田畑の損害甚大。

1578

天正6年

大雨洪水ー玖珠川はん濫、日田村中一面浸水

1625

寛永2年

千粟堤防3ヶ所決壊

1627

〃 4年7月

洪水ー洗切瀬ノ下3度浸水、五穀収穫なし。

1630

〃 7年5月

大雨洪水ー久留米城下の流失多し。

1632

〃 9年8月

大風高汐ー潰家多し。

1658

万治1年7月

霖雨洪水ー小瀬川はん濫、人馬の流失多し

1659

〃 2年

霖雨洪水ー田畑荒廃、飢饉、幕府検使来る。

1668

寛文8年5月

大雨洪水ー上5郡堤防筋すべて決壊、被害甚大、高田水道全部破壊される。

1669

〃 9年8月

大雨洪水ー人馬流失多し、国監久留米に下向する。

1673

延宝1年5月

大雨洪水ー17、18日近年に見ない大雨のため、沿岸堤防決壊、瀬ノ下町床上浸水、人馬流失多し。

1675

〃 3年5月

霖雨洪水ー14日梅雨入(初めて暦に見る)、柳原堤決壊、人馬流失多し。

1676

〃 4年5月

霖雨洪水ー延宝元年の水より高い。

1680

〃 8年7月

山汐(山津波)洪水ー瀬ノ下町床上2尺余浸水。

1681

天和1年

洪水、飢饉、幕府検使来る。救米(1日1人1合6勺づつ)給す。

1695

元禄8年7月

大雨洪水ー(7月4日)

1702

〃 15年

霖雨洪水ー5月から8月まで洪水32回におよぶ。家屋、田畑流失多く被害甚大、久留米藩の損耗14万3千石、五穀騰貴す。

1708

宝永5年2月

大雨洪水ー(2月2日)

1708

〃 5年4月

大雨洪水ー下浜倉流失。久留米町内舟で通る、田畑荒廃、藩内の損耗12万石。

1720

享保5年6月

霖雨洪水--生葉郡(耳納山系)山津波、柳原堤決壊、田畑、家屋の流失多し、死者61人、負傷32人、牛馬流死4、山崩れ大小70余ヶ所、大被害の村44ヶ村、田畑荒廃9,500町歩、損耗10万8千石、家屋流失211戸。救米1,500石を出す。又、肥前の損耗14万7千石、家屋の流失116軒。

1721

〃 6年6月

霖雨洪水ー五穀高値(米 120匁、大麦70匁、小麦80匁)

1726

〃 11年5月

大雨洪水ー(5月22日)

1730

〃 15年4月

暴風雨洪水ー(4月27日) 麦不熟、在方笹実を食す。

1732

〃 17年5月

大雨洪水ー(5月9日) 6月より7月にかけ気候不順日々霧雨降り、蝗発生、飢饉、餓死藩内1万1千余人、馬疫流行死馬4千余疋、9月2日幕府より1万5千両借用。

1742

寛保2年

6月初めより7月末まで豪雨、洪水33度に及ぶ。

1745

延享2年7月

霖雨洪水ー長野水道半分崩壊する。

1749

寛延2年5月

大雨洪水ー(5月13日)

1755

宝暦5年5月

日田地方5月13日から6月21日迄霖雨つづく。

1757

〃 7年4月

霖雨洪水

1765

明和2年8月

霖雨洪水

1767

〃 4年6月

暴風雨洪水ー(6月7日)宮地出水2丈、高野村堤、石場口堤崩れ、久留米城下浸水。

1769

〃 6年6月

霖雨洪水

1776

安永5年4月

大雨洪水ー(4月14日)新番所1丈8尺、又5月、7月と洪水あり。

1779

〃 8年8月

大雨洪水ー3日より大雨、5日洪水、小森野堤4ヶ所崩壊、城内及び町内に浸水、家屋及び牛馬流失、宮地出水2丈余、救米4,360俵。

1788

天明8年

(5月29日)日田地方60年来の大洪水、(6月3日)久留米城下洪水。

1789

寛政1年

大雨洪水ー8日より大雨、14日、15日大洪水、石場口1丈9尺余、小森野堤崩壊、家屋の浸水多し。

1790

〃 2年4月

洪水ー(4月25日)

1791

〃 3年6月

洪水ー(6月12日)損耗11万1千石、救米。

1792

〃 4年5月

洪水ー(5月21日) 石場口1丈9尺余

1793

〃 5年5月

霖雨洪水

1796

〃 8年6月

大洪水ー星野山崩る。

1802

享和2年5月

大雨洪水ー(5月15日)耳納山系山津波、宮地出水1丈9尺余、下淵農家9戸流失、その他石垣崩れ、大破流失あり。救米2千俵。

1804

文化1年5月

大雨洪水ー宮地1丈9尺

1804

〃 1年8月

大風雨洪水ー被害多し

1807

〃 4年8月

洪水ー(8月 5 日)

1810

〃 7年5月

霖雨洪水ー(5月20日) 石橋口1丈5尺余

1811

〃 8年5月

洪水ー(5月10日)

1814

〃 11年7月

大雨洪水ー(7月16日) 宮地渡場1丈9尺2寸、損耗7万俵。救米。

1815

〃 12年7月

大雨洪水ー(7月10日) 宮地1丈6尺余、13日強雨増水

1816

文化13年6月

洪水ー(6月15日) 石橋口1丈5尺

1820

文政3年5月

洪水ー(5月19日) 石場口1丈5尺余

1824

〃 7年6月

洪水ー(6月10日) 石場口1丈7尺余

1825

〃 8年5月

洪水ー(5月1日) 小森野1丈6尺

1826

〃 9年6月

大風雨洪水ー田畑損害4,230石、山崩れ筋谷23ケ所、本谷筋11ヶ所、甘水谷筋6ヶ所、白坂筋40ヶ所、西念寺山2ヶ所、久留米領内浸水家屋6,338戸、死者321人

1827

〃 10年5月

洪水ー(5月21日)

1828

〃 11年6月

洪水ー(6月3日) 宮地1丈7尺9寸

1831

天保2年5月

大雨洪水ー(5月27日) 石場口1丈6尺6寸、6月1日大雨やまず、石場口1丈7尺、5日洪水宮地1丈9尺5寸。救米2千俵。

1833

〃 4年6月

洪水ー(6月21日)

1834

〃 5年5月

洪水

1835

〃 6年7月

大雨洪水ー(7月28日) 宮地1丈4尺5寸

1836

〃 7年6月

霖雨洪水ー(6月15日) 宮地1丈7尺2寸

1836

〃 7年10月

10月1日強雨増水、石橋口1丈2尺。救米1,500俵

1837

天保8年1月

洪水ー(1月24日) 宮地1丈3尺余、耳納山麦生村分に山崩れを生ず。

1837

〃 8年2月

14日、15日大雨増水、宮地1丈余、救米3千俵。

1837

〃 8年6月

大雨洪水ー(6月5日)

1837

〃 8年8月

大雨洪水ー(8月12日) 宮地1丈2尺3寸

1838

〃 9年4月

大雨洪水ー(4月26日)

1838

〃 9年6月

大雨洪水ー27日大雨。28日洪水となる。川手番所1丈8尺、宮地2丈余、小森野堤約60間崩壊、小森口御門、石場口御門、櫛原口作門流失。柳原遊園全壊、久留米城下浸水床上3尺、三瀦郡被害多く、堤防崩壊数10ヶ所、流家51戸、流馬21頭、救米を出す。

1838

〃 9年8月

26日より9月1日まで洪水、御城下水高地水2丈8尺、高畑村水高地水26尺、潰家並びに流失家屋188戸、橋梁流失、死者、怪我人多数。

1840

〃 11年1月

洪水ー(1月24日) 宮地1丈2尺余。日田、玖珠地方大洪水、田地流失、家屋流失し死者多数。

1846

弘化3年5月

洪水ー(5月12日) 救米を出す。

1850

嘉永3年6月

大洪水ー瀬ノ下2丈3尺、沿岸田地すべて荒廃、家屋流失、堤防崩壊し、大飢饉を生ず。救米を出す。

1851

〃 4年

洪水ー上5郡被害甚大、救米数度におよぶ。

1858

安政5年5月

17日より霖雨、23日洪水、24日宮地1丈8尺、25日2丈5尺となる。

1860

万延1年4月

大雨洪水、沿岸の田地流失、堤防崩壊、宮地2丈2尺

1860

〃 1年7月

大雨洪水ー(7月8日) 城下ほとんど浸水被害多し。

1862

文久2年6月

洪水ー(6月3日) 宮地2丈余

1865

慶応1年5月

洪水ー(5月10日) 宮地1丈5尺

1866

〃 2年6月

洪水ー(6月3日) 宮地2丈余、瀬ノ下2丈5尺5寸、城下浸水

1867

〃 3年8月

洪水ー(8月30日)

 


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