大石堰

施設名 大石堰 管理者 浮羽郡大石堰土地改良区
型式 固定堰 河口からの距離 60km200m
堰長 (m) 257 目的 かんがい用水
魚道 階段式
完成年度 昭和31年3月改築

この堰の航空写真

現在の吉井町千年地区より以西、田主丸町の境にある各集落は、筑後川の沿岸にありながら水利が極めて悪くまた水田が少なく、農民の貧窮は実にひどいものであった。

夏梅村庄屋栗林次兵衛、清宗村庄屋本松平右衛門、高田村庄屋山下助左衛門、今竹村庄屋重富平左衛門、菅村庄屋猪山作之丞の5人の庄屋は、筑後川の水をなんとかしてこの平野に引く工夫はあるまいかと協議し、上流長瀬の入江から水を取り入れる案をたてた。

寛文3年の大干ばつで、五庄屋は一層心配して、その年の秋、郡奉行高村権内が郡内を見廻ったときに、かねての計画案を申し述べ、許可を願い出た。そして実地調査を行ない、設計図を作り上げ大庄屋田代又佐衛門の奥書を付け藩に願い出た。しかし、この大事業を行なうに当っては、失敗したら藩の威信にかかわるとあってなかなか許可は出なかった。

しかし、普請奉行山村源太夫の見廻りの際、五庄屋が実地調査を願い出たので普請奉行は綿密な調査の上帰城し、協議を行ない、寛文3年12月藩営事業として施行することが決定し、この大事業は、寛文4年正月に着手をみるに至った。

第一期工事は、溝幅3.6m 、長さ約3,000mの水路掘削であり、その年の3月中旬に完成し、かんがい面積は約75haとなった。  第二期工事は、大石水道および用水路の拡張(溝幅3.6mを7.2m)と水門改築(1口を2口、双関式扉)工事であり、寛文5年正月に起工し、その年の4月完成し、かんがい面積は一挙に約500haとなった。  第三期工事は、雲雀津留方面への余水分水のためであり、寛文6年の春起工した。この時に余水が巨瀬川に放出するようにした。

第四期工事は、恵利津留方面への分水のためであり、寛文7年正月起工した。隈ノ上川の長野堰は第一期工事で完成していたが、大石堰はできてなく、大石堰が築造されたのは延宝2年(1674年)で、長さ約400mの石造堰である。

その後たびたびの大水害に見舞われ、現在の堰は昭和28年災害の復旧として、昭和31年3月完成したものである。 筑後川50年史の(大石長野水道沿革誌より)

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