国土交通省九州地方整備局 国営海の中道海浜公園事務所

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海の中道の歴史

古代の「海の中道」

 海の中道の先端に位置する志賀島は、全島いたるところで土器など弥生時代中期の生活遺物が多数出土され、特に当時最新鋭の武器と考えられた「細形銅剣」の鋳型が発掘されています。これは高い技術力を擁する部族が島を根拠に大陸と盛んに交流を行い、文化を輸入していたことを物語っています。また、この地は「漢委奴国王」の印文で有名な金印の発掘された場所でもあります。(参考図書「福岡の古代を掘る」(朝日新聞福岡本部編)葦書房)

古代の「海の中道」

中世の「海の中道」

 志賀島から海の中道にかけては、元寇来襲時の戦場ともなった地です。弘安の役では、能古島から小舟による奇襲を行い、一進一退の激戦の末、撃退に成功しました。現在志賀島には、「蒙古軍供養塔」などが残っています。また、江戸初期のころ加藤弥左衛門が砂地に植林を試み、根付けに成功。これより本格的な植林が始まっています。

江戸時代の「海の中道」

 海の中道は、筑前国続風土記(1809年)や六十余州名所図会(1855年)等で名所として紹介されており、江戸時代にはすでに広く認識されていました。

筑前国続風土記19巻 1809年 貝原益軒著
筑前国続風土記19巻 1809年 貝原益軒著
六十余州名所図会「筑前 筥崎海の中道」1855年刊 歌川広重
六十余州名所図会「筑前 筥崎海の中道」1855年刊 歌川広重
※国立国会図書館HPより

昭和初期~中期の「海の中道」

 昭和11年に羽田に次ぐ日本で2番目の国際飛行場が雁ノ巣に建設されました。1,700mと1,300mの2本の滑走路を擁し、京城、大連、上海、台北へと飛んでいました。また、数年後には博多海軍航空隊が創設され、初期には水上飛行艇が飛んでいましたが、その後普通飛行機も飛び立つようになりました。

戦後の「海の中道」

 敗戦後、海軍航空隊跡に米軍が駐留し「キャンプ博多」と呼ばれていました。朝鮮戦争当時は、第一線の米空軍基地として使用されました。現在のリゾートエリア付近に司令部の中枢があり、野外劇場・サンシャインプール付近に将校宿舎がありました。昭和47年に全面返還となり、広大な跡地利用の検討がなされた結果、優れた自然景観を最大限に生かした公園の整備を行うことが決まり、現在に至っています。

記念碑

 現在、雁の巣地区には当時建てられた飛行場建設記念碑が残っています。皆さんも、海の中道に訪れる折りには、昭和初期、ここがアジアへの玄関口だったということに想いを巡らせてみてはどうでしょうか。

飛行場建設記念碑

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