洪水発生年月 | 洪水被害の概要 | |
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寛永末年 (年代不詳) |
1624年~ 1643年 |
本明川大洪水のため人家、耕地に被害。馬の鞍坂(天満町、円清田井原東側の丘)で手を洗うことができたと伝えられている。慶厳寺に溺死者のための供養碑がある。 |
元禄12年8月 | 1699年 | 本明川大洪水のため、溺死者487人。その他人家の流失、田畑の荒廃等の被害甚大。損失3,930石(この水害の供養のため、領主諌早茂晴が本明川の富川峡の巨岩に五百羅漢を作らせた。宝永6年(1709年)完成) |
正徳元年 | 1711年 | 慶厳寺に溺死者供養塔があるが、詳細は不明。 |
文化7年6月 | 1810年 | 不意の大洪水で本明川唯一の石橋が流失。元禄12年の洪水と同じ程度と想定される。(この洪水を契機に眼鏡橋がつくられる。天保9年(1838年)に起工、天保10年に完成した。) |
文化9年6月 | 1812年 | 大洪水により、市中の最高床上5尺5寸。流家、半倒壊多数。橋流失、堤防決壊、田畑水損等の被害甚大。 |
明治44年9月 | 1911年 | 豪雨により、諫早、大村で死者11名、行方不明者2名、家屋全・半壊52戸、破損275戸、流失16戸、床上浸水370戸、床下浸水253戸、その他堤防、道路、橋、田畑の被害多し。 |
大正3年8月 | 1914年 | 氾濫面積285町、負傷者3名、堤防決壊273ヶ所等の被害を受けた。 |
大正11年9月 | 1922年 | 豪雨(前線)により、諫早の雨量502mm(3日~9日)。被害の状況は不明。 |
昭和2年9月 | 1927年 | 暴風雨(台風)により、本明川が氾濫し諫早は泥海一大修羅場と化す。北高来郡の被害は死者16名、行方不明者1名、住家の全・半壊274戸、流失(一部流失も含む)66戸、住家浸水2,346戸等の被害を受ける。 |
昭和5年7月 | 1930年 | 暴風雨(台風)により、長崎県下で死者47名、行方不明者33名、諫早では、真崎、有喜、本野、小栗小学校の校舎倒壊(洪水:風水害年表) |
昭和23年9月 | 1948年 | 豪雨(低気圧)により、本明川が氾濫。長崎県下の被害は、死者39名、行方不明79名、家屋の全・半壊99戸、流失64戸、家屋の浸水5,973戸等であった。 |
昭和24年8月 | 1949年 | 暴風雨(ジュディス台風)により、北諫早の雨量(15~17日)320mm。諫早市*の家屋浸水700戸、列車不通。また、海水浸水で農作物の被害甚大であった。 |
昭和27年7月 | 1952年 | 諫早市で堤防決壊1箇所、家屋浸水118世帯、水稲冠水150町歩。 |
昭和28年6月 | 1953年 | 諫早市で死者2名、床下浸水92戸、田畑冠水265町歩。 |
昭和28年7月 | 1953年 | 諫早市で死者2名、家屋全壊2戸、床下浸水92戸、田畑冠水475町等の被害を受けた。 |
昭和29年6月 | 1954年 | 諫早市で床上浸水2戸、床下浸水304戸、田畑冠水914町歩等の被害を受けた。 |
昭和30年4月 | 1955年 | 豪雨(前線)により、諫早市*で床上浸水24戸、床下浸水377戸、田畑の流失・埋没21.5町等の被害を受けた。 |
昭和31年8月 | 1956年 | 暴風雨(台風)により、諫早市で死者4名、住家全壊86戸、半壊145戸、水田冠水120町等の被害を受けた。 |
昭和32年7月 (諫早大水害) |
1957年 | 豪雨(梅雨)により、諫早市で死者494名、行方不明者45名、負傷者1,476名、住家の全壊・流失727戸、半壊575戸、一部破損919戸、床上浸水2,734戸、床下浸水675戸、田畑の流失・埋没、崩壊805町等の甚大な被害を受けた。 |
昭和37年7月 | 1962年 | 豪雨(梅雨)により、本明川流域で負傷者14名、家屋の全壊流失62戸、半壊25戸、床上浸水2,262戸、床下浸水8,058戸の被害を受けた。 |
昭和57年7月
(長崎大水害) |
1982年 | 豪雨(梅雨)により、本明川流域で死者3名、負傷者1名、家屋の全壊2戸、半壊11戸、床上浸水951戸、床下浸水1,457戸の被害を受けた。 |
平成11年7月 | 1999年 | 豪雨(梅雨)により、本明川流域で家屋の全壊1戸、半壊1戸、床上浸水240戸、床下浸水471戸の被害を受けた。 |
平成23年8月 | 2011年 | 豪雨(前線)により、本明川流域で家屋の床上浸水5戸、床下浸水24戸の被害を受けた。 |
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