名前の移り変わり
名前の移り変わり
江戸時代
の
福岡藩
の
地誌
、
貝原益軒
『
筑前国続風土記
』の「
河水記
」によれば、
遠賀川本流
は「
桑野川
(
嘉麻川
)」「
直方川
」「
木屋瀬川
」「
遠賀川
(
芦屋川
)」などの
名称
がありました。
遠賀川の
本流・
支流の
名称は、
時代によって
変遷があります。また
明治5~6
年頃に
編纂された「
福岡県地理全誌」の
遠賀郡の
項にも「
遠賀川」の
名称は
見られます。
【参考】香月靖晴『遠賀川 流域の文化誌』(海鳥社)
解説協力
日本経済大学 教授 竹川克幸
遠賀川のなりたち
遠賀川は、約100万年前に流域で丘陵地や谷が発達し、その低地に約1万年前の氷河期の終わりの海面上昇によって海水が流入、2000年~3000年前までは、河口から直方市頓野あたりまでが奥深い湾であったようです。
その後、上流から流れこんだ土砂が堆積し、入江が海岸平野となっていきました。平野の中を流れていた遠賀川は、絶えず上流から土砂を運び、また大洪水のたびに流れを変えながら、変化と成長を続け今日の姿となっています。
川
がつくる
地形
の
移
り
変
わり
1.原平原
地形は、なだらかで川もまだ浅い。
2.幼年期
土地が盛り上がり、川が土地を削り始める。
3.壮年期
土地が盛り上がり続け、川が土地を削り込む。山の尾根はするどくなり、谷は深くなる。
4.老年期
土地の盛り上がりは、治まるが、川は土地を削り続けていく。谷は広くなり、尾根は丸くなる。
5.準平原
谷幅が広がって、土地は、なだらかになる。川はゆるやかになり、蛇行し始める。
遠賀川と炭鉱
古くは、「筑前国続風土記
」にも燃石として印されている石炭は、江戸期には家庭用燃料から塩田用燃料などに用いられ、藩の専売品として藩外
にも売られていました。
明治期にはいると、新政府の方針で自由に採掘ができるようになり、中央資本から地元企業までが石炭事業に本格的にのりだしました。
この後、遠賀川流域の炭鉱は明治、大正、昭和と日本の産業を支え続け、特に第二次世界大戦後の日本の復興には大きく貢献しました。
遠賀川の言い伝え
川の殿
むかしからおんががわのまわりで
かっぱは「カワントン」とか
「カワノトノ」とよばれていたんだよ!
おんががわのまわりには
おいらにまつわるまつりやはなしが
たくさんあるよ!
言い伝えの紹介