肝属川の歴史

歴史のあけぼの

「クニ」が登場した古墳時代。

大雨で川が氾濫する度に、上流から肥えた土砂が運ばれた下流一帯は、米作りに適していました。その為、人が多く集まり、古墳時代には、いくつもの「クニ」が生まれました。クニの支配者たちは、自分の力を示すかのように、次々と「古墳」と呼ばれる墓を造りました。その中には、九州でも1,2を競う巨大なものがあります。

流域にある代表的な古墳

唐仁古墳群の写真

唐仁古墳群(東串良町)

唐仁古墳群(東串良町)

全長185メートルは、九州で最大級

前方後円墳4基と円墳140基が集合してある大きな古墳群。その中で、「大塚古墳」は、全長185メートル、高さは約11メートルもあります。


塚崎古墳群の写真

塚崎古墳群(肝付町・旧高山町)

塚崎古墳群(肝付町・旧高山町)

大和朝廷との交流を示す多くの「高塚古墳」

多くが、前方後円墳や円墳といった近畿地方でよく見られる「高塚古墳」と呼ばれる造り方の古墳で大和朝廷と深い交流があったことを表しています。


主な古墳の位置

主な古墳の分布図

ふる里の神話

玉依姫尊(タマヨリヒメノミコト)とガラッパどん

その昔、神武天皇の母、玉依姫尊が、幼い皇子(のちの神武天皇)を連れて、姶良川に洗濯に出かけた時のこと。川原で遊んでいた皇子が、誤って川に落ちて溺れそうになります。よく見ると全身に無数のガラッパ(カッパのこと)が取りついていて、驚いた玉依姫尊は、剣を持つと皇子目掛けて川へザブン。そして、皇子を助けようと一番大きなガラッパの手を捕まえると持っていた剣で切り落とし、皇子を助け出します。今も地元の人が“カッパの手の跡”と呼ぶその場所(旧吾平町神野地区)では、不思議なことに、カッパの手の形をした粘土が見られると言います。


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