トップページ>河川事業>肝属川の歴史>歴史のあけぼの>飛鳥時代は、注目の「米どころ」
米を税金の一つとして集めて力をたくわえ、一日も早く統一した国を作ろうとしていた大和朝廷は、地方でも、特に農業の技術が進んで米作りが盛んな所を「屯倉(みやけ)」と呼ばれる直轄領とし、直接治めるようにしました。「肝付屯倉」は九州でも数少ない屯倉の一つで、肝付町(旧高山町)・永田橋上流の左岸一帯がそれにあたります。
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