肝属川の歴史

治水事業のあゆみ

治水工事のいま・むかし

洪水から生活を守る為、人は昔から、その時代で出来る最大の努力を川に注いできました。しかし、工事の内容ややり方は今と昔でずいぶん違うようです。一体、どのように違うのでしょうか?

直営工事時代の思い出

人力中心のうえに、泊り込んでの作業も多く、きつかったですね

昭和30年代までの治水工事は、まさに人力が頼りでした。当時多かった堤防作りの工事でも、土を運ぶ、運んだ土を固めるという作業はもちろん、土を運ぶモッコ(竹製のカゴ)などの道具も自分達で作ることもあったほどです。また、途中で作った堤防が流され、一からやり直すこともしばしばで、予定通りにはなかなか作業が進まない。そんな時は、2,3週間現場に泊まりこむこともよくあり、まさに体力勝負の日々でした。

※直営工事とは:国や県などの役所で働く人たちが、直接自分達で行う工事のことを言います。

昭和初期の工事は、ほとんどが人の手で
堤防を作るための土を担いで運ぶ作業(昭和15年・旧串良町)

堤防を作る為の土を肩に担いで運ぶ作業(昭和15年/鹿屋市・旧串良町)

水の勢いで川底がほられるのを防ぐための木の枝を束にして沈める作業(昭和16年頃・旧高山町)

水の勢いで川底が掘られるのを防ぐ為、木の枝を束にして沈める作業(昭和16年頃/肝付町・旧高山町)


捷水路を作るときにでた土をトロッコで運ぶ様子(昭和16年・旧串良町)

捷水路を作るときに出来た土をトロッコで運ぶ様子(昭和16年/鹿屋市・旧串良町)

機械が登場して工事はスピードアップ
分水路のトンネルを掘り進めている様子

分水路のトンネルを掘り進めている様子

分水路のコンクリートの壁を作っている様子

分水路のコンクリートの壁を作っている様子


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