
高山川や本城川に守られた高山城の図画像拡大
毎年、秋になると黄金色の稲穂に覆われる肝属平野。昔から米所として知られたこの土地は、豪族達の領域争いの舞台となってきました。中でも、鎌倉時代から室町、戦国時代にかけての約300年は、肝付氏と島津氏の二つの豪族がぶつかり、度々激しく争いました。
平安時代の中頃、“国”の命令により、肝属川流域を治める事になったのは、肝付氏でした。古くから穀倉地帯として知られた土地を地盤に勢力を伸ばし、鎌倉時代には流域の広い範囲にわたり、30を超す城を築くほどの大豪族に成長。その後、300年にわたり大隅半島を支配することになります。
周囲が畑となった下伊倉城跡
東串良町に残る「下伊倉城」は、肝付氏一族の城で、肝属川沿いに建てられました。当時、荷物を大量に運ぶには、道より川の方が便利で、米などの食料をはじめ、色々な情報も、舟を使って各地の城へと運ばれていたのです。
高山城跡・肝付町(旧高山町)
外の敵に備え、肝付氏は川の近くに沢山の城を築きます。いざ、合戦という時には、敵の侵入を防ぐ為に川をせき止めて水をため、天然の「堀」として利用する為です。肝付氏が住んだ高山城や鹿屋市にあった高隈城などは、川を利用した代表的なものだと言えます。