肝属川の歴史

水害の歴史

過去最大の水害は、昭和13年!

この年の10月15日、大隅半島に上陸した台風は、肝属川の流域に大量の雨を降らせました。肝属川の水嵩はグングン上がり、一気に川から溢れ出した水は、次々に家や人を襲いました。

床上まで水に浸かった家

床上まで水に浸かった家
(鹿屋市串良町永和地区)

洪水で壊された俣瀬橋

洪水で壊された俣瀬橋
(東串良町俣瀬地区)


昭和13年水害の体験者の声

大きな岩をも押し流す洪水のものすごさ…あまりの恐さに眠ることもできませんでした

あの時の恐ろしさは、今でも忘れることが出来ません。水嵩が増した高山川では、大きな岩が流れ、岩と岩とがぶつかり合うものすごい音で、夜は少しも眠れませんでしたよ。朝、家の外に出て、びっくりしました。川のそばにあった田んぼは、一面、流木や石ころで埋まり、また、流されて跡形もない家もあったんです。


水害の心配は、今も。

内水があふれて水に浸かった家や道路

昭和51年6月、梅雨前線による集中豪雨の為、肝属川が氾濫し、鹿屋市内で堤防が壊され、死者4人を出す大きな被害が出ました。また平成2年9月には、700戸を超える家が水に浸かってしまいした。その後、平成5年、9月にも大きな水害が発生しており、肝属川流域は、まだ、水害の心配の無い場所とは言えないのです。


肝属川流域で発生した主な水害(昭和20年代〜)

昭和24年6月
デラ台風による豪雨の為、肝付町(旧高山町)で563ミリを記録する大雨に。全半壊した家、水に浸かった田畑も多数。
昭和46年8月
台風19号による大雨で死者2名、流出・全半壊した家は70戸を記録、水に浸かった家は409戸にものぼりました。
昭和51年6月
梅雨前線接近による豪雨の為、死者4名、流出・全半壊した家は35戸。水に浸かった家は187戸を数えました。
昭和54年9月
台風16号による大雨で、雨量は肝付町(旧高山町)で258ミリを記録し、多くの場所で堤防が崩れました。
平成2年9月
台風20号による大雨の為に、704戸もの家が水に浸かってしまいました。
平成5年8月
台風7号による集中豪雨の為、流出・全半壊した家は26戸、水に浸かった家は605戸にも達しました。
平成9年9月
台風19号による大雨の為に、910戸の家が水に浸かりました。
平成16年8月
台風16号による大雨の為に、140戸の家が水に浸かりました。
平成17年9月
台風14号による大雨の為に、家屋半壊6戸、553戸の家が水に浸かりました。

次のページは「内水被害」という新しいタイプの水害がふえています

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