長崎街道・日見峠浪漫

日見峠道浪漫

  


画像をクリックすると拡大図が見られます。

 

 

 

 

 

長崎街道日見峠 (江戸時代)

「西の箱根」と呼ばれた街道きっての難所

江戸時代、長崎から小倉間を結んだ長崎街道。その中で街道一急峻な坂道として知られた峠。江戸参府に赴くオランダ使節、幕末の志士たち‥往くも還るも、旅人の心に「長崎」を焼きつける道でした。現在も往時の姿をとどめており、平成8年に建設省の歴史国道として選定されています。

 

 

 

日見新道(明治15年完成)

民間事業者による有料道路

人力車や馬車という当時の交通手段に対応するために、日見峠を110尺(33m)切り下げて、整備されました。建設費の不足を補うため、日見と本河内の2ヶ所では交通料を徴収しました。

 

 

 

 

日見トンネル (大正15年完成)

半世紀にわたり“動脈”として貢献

長崎県が大正13年に着工し、2ヶ年で完成。全長642m幅員7.4mは当時日本最大規模のトンネル。昭和に入ってモータリゼーションが進展する中、長崎に通じる唯一の動脈として大きな役割を果たしてきました。 坑口のデザインは大正期の様式を色濃く残しており、平成13年度に国の有形文化財として登録されました。

 

 

 

新日見トンネル (平成11年完成)

21世紀の長崎を拓く新街道

建設省の国道34号日見バイパス事業として、平成11年に開通した全長1,055mのトンネルです。日見バイパスは平成13年12月に全線開通し、長崎市と各都市を結ぶ国道34号の渋滞を緩和し、災害に強い道路として、大きな効果を発揮しています。

 

 

 

 

ページの先頭へ戻る

Copyright (c) 長崎河川国道事務所.All Rights Reserved.