石井樋復元の様子

石井樋復元の様子

石井樋は、昭和35年に上流に川上頭首工という取水施設がつくられるまで、約350年にわたり水不足や水害から佐賀平野を守り続けてきました。日本でも最も古い利水施設のひとつで、歴史的・文化的な価値が高い土木遺産です。

  

大井手堰

新しい大井手堰の横に、壊れないよう埋め戻して保存しています。

発掘前はコンクリートの堰になっていました。

コンクリートを除くと、古い石積みが出てきました。

壊れないよう埋め戻しています。

石井樋

発掘されたままの状態で保存されています。天井には「仏像」が彫られています。

  

表面をおおっていたコンクリートをはずしました。

入口の石積みを参考にして石を積みました。

象の鼻

当時の石積みを守るために、上からささらに新しい石を積んで保存しています。

  

土をのぞくと古い石積みが出てきました。

古い石積みを守るため、上から新しい石を積みました。

天狗の鼻

残っていた石積みは忠実に積み直しを行いました。

  

古い石積みは石がはずれたり、乾いたりしていました。

はずれている石をもどしたり、積み直したりしました。

伝統技術の継承

穴太積み(あのうづみ)
穴太積み(あのうづみ)

滋賀県の大津市坂本近くにある穴太の石工集団が積んだ石垣のこと。織田信長の安土城築城で全国に広まりました。1600年代に作られた唐津市の名護屋城も穴太衆の技術が使われています。基本的には穴太積みとは、自然石を積み上げた野面積みのこと。

はしご胴木(どうぎ)

はしご胴木(どうぎ)

湿地など地盤の弱いところに石積みを行うと石の重みで部分的に沈下が起きます。この沈下を抑えるために設置されたはしご状の土台。佐賀城築城でも使われ、水の中でも腐りにくい松の木が多く使用されています。

朶沈床(そだちんしょう)

朶沈床(そだちんしょう)

川底の砂の吸出による石積み等の崩壊を防ぐため、明治初期にオランダから伝わった伝統的な河川技術。石井樋では大井手堰石積み(護床工)安定のために、現代技術の吸出防止材と併用し最下流部に設置しました。

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